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NTR独り言:リアリティ

NTR漫画を描いているのだけど、描いている最中に「これはリアリティがない」みたいな気持ちに襲われることがある。

エロなんてファンタジーを描くものなので、リアリティを気にしなくて良いはずだし、むしろ必要以上のこだわりは物語に制約を作ってしまったりノイズになってしまったりということがある。

それでもなんでリアリティにこだわってしまうのか。

昔、2chに体験談の体で書かれたNTR創作小説を、ノンフィクションと勘違いしていたことがあった。それ自体は自分がアホすぎるのだが、それはたいそう抜けたのだった。しかし作者がブログを持って小説を発表し始めたのを知った。その結果抜けないことはないんだけどなんか…。全然使うことがなくなってしまった。

NTR夫婦のハメ撮りブログの購読にハマっていたことがある(いくつかの記事は購入していた)。その夫婦が公開していた動画はやはりたいそう抜けたのだが、ある時夫側が別のブログを立ち上げて、複数の人妻を調教している日記みたいなのを付け出した。

いやまぁそういう人もいるのかもしれない。スイッチャーというのがあるらしいし寝取られマゾがサドの役割を果たすこともあるしね。しかし…よくよく見るとそのブログからリンクされている複数のブログのフォーマットが似通っていることに気づいたのだった。

いや、たまたまだし参考にしてるだけだろ…と思った。そして奥さんのかなり古い動画にタトゥーが入っているのに気づいた。

いや、そういうカップルもあるだろう。しかし… ヤクザのシノギみたいなこともあるかもしれないなとふと思ってしまったのだった。夫婦も嘘かもしれないし、引退した風俗嬢やAV嬢が、寝取らせの体で動画を撮り溜めて有料で公開すれば。あるいはそのシステム自体をコピペで増やしてしまえば。ああ、稼げるなこれは…。やらない理由がない。

別段そうでも構わないはずだ。オカズなんだから。その可能性を了解して抜いている人も多いのかもしれない。しかし例によって自分は購読をやめ、それを使わなくなってしまった。

結局自分は「あり得たらしさ」をオカズに抜いているんだなということがだんだんとわかってきたのだった。AVのNTRは演技が大仰すぎて抜けないし、AVで「イってる」感を出されると「嘘やん」って思って萎えるし、NTR漫画でも都合の良い展開はあまりなぁ…と思う時がある。

昔はそうじゃなかったはずだ。NTRをたくさん摂取しすぎて普通の刺激では抜けなくなってしまったのだと思う。そして問題なのは、今自分が描く側に回ろうとしていること。ハードルが高ければ高いほど、描いているときに手が止まってしまう。実際ある程度その感覚を麻痺させないとストーリーは作れないなと思う。

ある程度対策はある。一つは因果関係を繋げすぎないこと。「主人公の入社した会社の上司は実は妻の元ご主人様だった…!」これはつなげ過ぎで、世界が極端に狭くなってしまっている。

カップル動画を参考にすること。関係性はやはり表情や声のトーンに影響すると思うし、気持ちの入ったセックスの女性側のトーンには特有の甘さが感じられる。AVでは胸や性器や顔を見せるために、体位やアングルに影響するのだが、カップル動画にはそう言った作為的なものが少なく、動物的な交尾らしさがある。

もう一つ、自分が試しに心掛けていることは、少なく大きく嘘をつくことだ。たとえば抜きどころがわかっていれば、そこだけに嘘を使うべきなんじゃないだろうか。

まだこの考えはまとまっていないので今後更新すると思う。