本当はどこにも書かずに直接創作に生かしたかったのだけど、 表現できないまま結構時間が経ってしまい、このままだと忘れそうなので備忘録として一旦書くことにする。
以前ラムネさんと話していた時に「NTRゲーでイベントCGって今ひとつ興奮しないっすね」的な話を聞いて、 何がまずいんだろう?というところを二人で掘り下げていったのだった。
例えばRPGだったら、神の視点から全てを見下ろすわけだ。定点カメラものとかも近いかもしれない。
カラオケに連れ込まれるヒロインと、何もできずただ見てるマゾ
しかし、一枚絵イベントシーンになると、カメラが移動することになる。 よくあるのはヒロインと間男が二人で並んでスケベしているような構図である。
カラオケルームで間男の毒牙にかかるヒロイン(クソっ、悦んでるんだろ…!)
これは、神の視点からいきなりAVに変わってしまったような形になってしまう。 実際には主人公がカラオケルームに入れる状況になかったとしても、実用上エロを見せる必要があるため、カメラは二人を追って室内に入ることになる。
マゾでもヒロインでもチャラ男でもない4人目が存在する
それ自体を不満に思う人は別にいないというか、その方が抜けるからしょうがないよね…となるのが普通ではある。
でも、AVの視点って、自分は素に戻りやすいなと思うのだった。主観視点は、カメラの存在を意識させるようなところがあるし、 視聴者はその一点に縛り付けられてしまう。むしろそれがない俯瞰視点の方が、自分の心理的視点を自由な位置に置けるのかもしれない。
もう一つは、カメラの移動(視点移動)を抑えたほうが集中が途切れにくい説がある。 漫画においては(固定カメラものでない限りは)アップや視点変更を駆使して表情変化や、性器・おっぱいを大きく映すのが普通だけれども、読者の集中や没入を第一に考えるのであれば、別の考え方もあり得そう。
もう一つ、寝取られ・寝取らせジャンルには「見せない」という選択肢がある。 進入できない場所から、ヒロインの喘ぎ声が聞こえてくる、というシチュエーションは、自分が最も興奮できるものの一つだ。
マゾにセックスを見る権利なんてないんだよな
このイベント中に、主人公も自由に移動できるとさらに良くて、その周辺をただうろうろするしかできない無力感を存分に味わうことができる。 エロ描写なんてなくてもこれだけで何度も抜きましたからね。いいものですよ。
こういう良さは名作「夏色のコワレモノ」で特に感じられたものなので、時間があったらぜひプレイして欲しい。