創作をやっていると、たびたび、数字が欲しいという気持ちになるし、新しく入ってきた人があっという間に数字を伸ばして、一瞬で置いていかれるみたいなことがよくある。本当によくある。その度に、悔しいような、虚しいような気分になる。
創作を始めた理由はなんだっただろう?小学校の頃だった。TRPGみたいなものを作って、それで声をかけられるのを待っていた。幸い、興味を持ってくれた友人が一人いて、そこからコミュニケーションを始めることができた。また会話をしたかったので、何度も作った。それしか友人を作る方法がなかったのだ。
理由がなければコミュニケーションを始めることはできないし、何も作れなければ話しかけてもらえない。それが自分の基本的な考え方だし、ずっとこのことに困り続けている。
ファンが欲しいわけではなく友人が欲しいんだよな。生活費は本業で稼ぐしかないし、承認欲求はどのみちうまく満たせない。自己承認のできていない人間にとって称賛は頓服だ。一時的に喜びがあっても、すぐに効果が薄れてしまう。
自分にとって友人の方がよほど替えが効かない。自省や後悔ばかりの人生に友人が居なければ辛いだけだ。
だから自分は伝えることが最優先なのだ。自分のアイデアや思いがうまく伝われば、友人が出来ると思っているんだよな。
創作活動はファンを得ることが通過点のようになっているけど、全員がそれを目指すと、誰かのアテンションを奪い合うことになる。難しいのは、認められたい、何者かでありたいというのはおそらく本能的な欲求で、抗い難い。自分もずっとその誘惑から抜けられない。
自分の感覚では、一万のインプレッションよりも、自分から1人に声を掛けることの方が事態を動かす力があると思う。数字が欲しいと思うたびに、いやいや、自分の場合は「1」が「一万」を上回る場合があるんだ、と言い聞かせている。
多くの人の目に留まるメッセージは、欲求を想起させる形をしている。それは記号的な形を取るだろう。それを自分がやるのか?違う気がする。欲求を満たすための何かを提供し続けるのは、対等な関係ではないと思う。
そうではなくて、誰かと一緒に悩みたいと思う。自分がやるのは、自分自身もしくはまだ見ぬ友人の、あり得たかもしれない人生のストーリーを提示することだ。万人が抜けるものを作るんじゃなくて、誰かの性癖を肯定するようなストーリーを作ってみたい。