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popと頑固

創作に関しては自分はずっと頑固だし自縄自縛になってんだけど、結果として出力物に自分の色がついてるからまあ悪いことではないのかな。ラーメンハゲ最新話のポップかディープかって話で思うところは多かったけど。

こういう迷いがあるのが、自分の嗜好がかなりミーハー寄りだからなんだよな。でもミーハーにも厚みがある時代になってきたな。80’s popが流行ってたりもするけどそれも一部でしかないし。

でも経験則として、一番筆が進むのって一番こだわっている部分を捨てた時なんだよな。それが作品のポテンシャルというか自然な形を一番歪めてしまって不自然になるからだと思う。一番のこだわりが出てきた時点で赤信号なのかもしれない。

だから「作品>自分のやりたいこと」のバランスの方が上手くいくんだよな。それはポップやディープっていう軸の話でもない。ただとりうる形を追求するだけのこと。

昔話とかも、伝わっていく過程で作家性が削がれて、物語としての純度が上がっていくところがあると思うのだけど、この話勧善懲悪になってるの不自然だなってよく思うんだよな。どこかのタイミングで思想が創作を乗っ取っちゃってると思う。

善が悪に敗北するというふうにした方が話がスッキリするケースがあると思っている。死というカタルシスを得るんだよね。

そういう歪さが気になってしまう。物語って数学に近いものなのではって思っている。それかデザインでもいいけど。それっぽさだけでは肉は作れても骨組みが作れない。主張を満たすように形成はできても歪になる。ただただその作品自体が志向する形を取らせたい。

AIとシナリオ壁打ちやってた頃、尊厳破壊とかエロ処刑とかNTRとかやらせようとするとAI側がすんごい抵抗してくるんだよな。どうにかヒロインを救おうとしたり、茶化してギャグ展開にしようとしたり、急に終わらせて後書きに突入したり。軟弱だなって思ってた。

仕方ないからもうそれ以外の展開が起こり得ないようにこっちで書き進めていくんだけど、そうすると出力の品質がどんどん落ちていくんだよな。AIも鬱になるんだって思った。