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広告業界の世界観を内面化しない

なぜテレビ業界では視聴率が大事だったのか。それは彼らの収益源が広告だからだ。 そこでは数字が正義になる。どれだけ視聴者に広告を見せることができるかが大事だからだ。

インターネット上もだいたい同じだ。 サーチページの上位などの場所や、動画広告の時間なんかに値段がついている。

広告主は、より自社の認知度を上げられれば、 商品の購入なりサービスの契約なりの収益が上がるという仮説のもとで出稿する。

その仮説があっているかどうかはともかく、 インターネット上では広告費で経済が回り、 インフラがそのついでに保たれている。

だからインプレッションに値段をつけて売ってるのである。

我々は彼らと共存しているだけであって、 彼らの利害には無関係なんじゃないかと思う。

度々疑問に思うのは、彼らがインプレッションに価値を置いているからといって、 我々がそれに価値を見出す必要はないんじゃないかということだ。

マーケティングでインターネットの経済が回っているからと言って、我々がマーケティングの王道に沿う理由にはならない。 結果マーケティング用語をたくさん知ることになっているけれど、我々は広告費を払っていないし受け取ってもいない。 ただ通路にいるだけだ。

インプレッションが伸びたとしても、その価値は線形ではない。 届く必要のないところに届いても、それは必要のないアテンションを得ているだけだ。

否定するだけでは空っぽだ。大事なのは、アテンション主義の代わりに何を指針に置くかだ。それが難しくてずっと悩んでいる。まだ何も数字になっていない場所だろうから。