しばらく日記に書いている通り、自分はバズという概念そのものに嫌悪感があって、それで周辺概念までまとめて叩く部分があった。たとえばバズを狙うのは楽しくないとか、いいねに意味なんてない、みたいな主張をしがちだった。
今日GPMさんと話していて「評価経済学」というワードが出て、図書館に行ったらちょうど「評価の経済学」を置いていたので、斜め読みしてきた。
(自分としてはそもそもマスの注意を奪い合うゼロサム構造に反発しているのだけど、その部分に対して、いや評価を得るのは大事なんだ、という主張があれば読みたいと思っていたので、本論より前書きの部分が重要だろうと思った)
全体的には社会的評価と企業的評価の事例集という感じで、あまりインターネットは関係なかったのだが、そこに出ている企業は概ね社会的評価の下落に伴って大きな経済的損失を被っており、いやまあ評価そのものは大事だし、バズは社会的評価の結果の一部ではあるからそこを否定してしまうと苦しくなるな、とは思った。
特に、自分は創作における心理的な自由や開放感を重視しているのだけど、社会的評価を失うと、チャンスや周囲のサポートも失うわけで、結果的にその自由を失うことになる。また、尊敬する仲間からの評価はもちろん高くしたいよねと思う。
なので、主張をもう少し詳細に整理する必要があると思った。たとえば:
- 評価は大事。評価を損なうと自由も損なう。
- 評価の計測にあたっていいねとRT数は依然重要である。ただし、評価というのは「誰からどう思われているか」が大事なので、いいねはKPIにするにはデータとして荒すぎる。5段階評価の星だったり、レビューの方が重要度が高い。
- インプレッションとはリスクの量である。いい評価を増幅するし、悪い評価も増幅する。
- 評価といいね数は関連しているし、評価と経済的利益は直結している。ただしいいねと経済的利益が直結しているわけではない(いいね数が高い商品でも売れなかった事例など)
だから、客観性を維持している限りは、バズを狙うことも悪いことではない。
絵描きとしての行動としては、じゃあバズりやすい絵柄や構成を取るか検討することになる(自分はバズりを狙えるほどの能力はないが、一応試せるアイデアはいくつかある)。誰にどう思われたいかという狙いが大事だし、行動においての一貫性や物語性が大事になる。
たとえば:
- カラーにする
- 仕上げのクオリティを向上させる
- イラストとしての機能性を検討する(イメージボードを作り、どんな要素を画面に入れるか設計を先に行う)
- 自分のNTRに取り組む背景について明かす(レポ漫画形式で書いてもいいのかも)
- アクセシビリティを向上させる(すでにセリフのテキスト化は行なっている。多言語化も選択肢)
- 発言と書く内容を一致させる(ランダムな発言は別アカウントで行なった方がいいかも)
引き続き、いいねやRT数は直接参考にしない(運ゲーすぎるので)。いいね率や想定ターゲットに届いたかどうか、コメント数はログを取ってもいいかもしれない。
知りたいことだけつまみ食いできるかと思って斜め読みしたけどそういう構成になってなくて、また全部読み直す必要があると思うけど、今の時点ではこう思った。