「この先ぐちょぐちょにされる」という「予感」こそが、性欲を昂らせるキーのような気がしている。 人気のフォーマットである即堕ち二コマも、本当に二コマでいいのか、三コマ構成にして「予感」の入る余地を作った方が、実はもっと具合が良かったりしないだろうか。
AIの作るコンテンツのおもんなさは、欲望の不在というか無効化だと思うなあ。プロンプトというものが欲望じゃなくて表面的な特徴を描くものだから向いてないし、代表的なAIは去勢されているので。でも欲望の介在しない会話っていうのはあまり面白くないと思う。人間というのは本性を暴かれたいし暴きたいものだと思う。そこを鋭く捉えてメッセージにするのは人間の仕事かなと。
だからこそ、創作は視覚的な特徴から入るべきではない、と最近は思う。性的刺激を画面に並べればコンテンツとして成立はするが、それはただ成立しているだけだ。私がしたいのは、人々が性的刺激を求める「原因」を抉り出し、そこから出発する創作なのだ。
例えば、食に関する会話は安全に楽しめる猥談のようなものだ。だからこそ、多くの人を惹きつけるのだろう。 突き詰めれば、エロを求める気持ちの裏側には、「私の欲望を言い当ててほしい」「本当の理解者が現れてほしい」という切実な願いがあるのではないか。理解者のいない世界は、数十年を過ごすにはあまりに寂しい。
AIの絵は、もう見分けがつかないほど精巧になった。普段は特に言及しないが、AIだと聞かされると、やはり視線の演技不足が目につく。 キャラクターに感情移入し、何を考え、何を欲望しているのかをシミュレーションして、初めて目線や手の仕草が決まるはずだ。 だから、何かを考えている人物の顔は、必ずしも整っているわけではなく、少し不細工だったり、中途半端な表情をしていたりするのではないか。それは静的な美しさとは違う、動的な魅力だ。 もっとも、綺麗に仕上げられたものの方が評価されやすいのが現実で、こんな話は負け惜しみに聞こえるかもしれない。それでも「本当は負けたと思っていない」という気持ちは、密かに持ち続けていたい。
私には、作者として「存在している」という優位性がある。作者の存在は、作品のバックグラウンドを想像させ、物語に深みを与える。ココンテンツはコンテンツだけで存在していると思わない。やっぱエロ同人の作者がえっちだったら嬉しいでしょうが。
欲望とは、他人の欲望をコピーすることで生まれるものだ。その「他人」が実在するかどうかは、決定的に重要だ。 漫画を読むとき、読者の視線はキャラクターの目に注がれる。なぜ人は相手の目を見るのか。それは、視線の先にある対象や、興味の強弱を読み取れるからだ。目はメッセージを発している。人間は、他人の欲望にこそ、どうしようもなく惹きつけられる生き物なのだ。